感謝と称賛から始める組織のインクルージョン
~遠心力と求心力の調和~
東京女子大学 現代教養学部・心理学科 准教授 正木 郁太郎 氏
セプテーニグループ (株)人的資産研究所 代表取締役 進藤 竜也 氏
多様性を尊重することが組織の前提となりつつある今、「インクルージョンとは何か?」という本質的な問いが改めて重要視されています。制度や方針を整えるだけでは不十分であり、一人ひとりが“違いを活かし合える関係性”を築いてこそ、組織は真に多様な力を発揮することが可能となります。
では、そうした関係性をどのように築き上げるのか? 今回のセミナーでは「感謝と称賛」に着目しました。この2つの要因は、組織における¨遠心力と求心力¨の調和、すなわち個性発揮と一致団結を両立させる実践的なアプローチだからです。
今回は、人と組織をつなぐ関係性の研究者である東京女子大学の正木郁太郎准教授を講師にお迎えし、豊富な研究成果や事例を交えて企業の実践についての示唆をいただきました。
また、正木准教授とD&I×感謝の共同研究を行ったセプテーニグループ、(株)人的資産研究所の進藤竜也氏とのパネルディスカッションも実施しました。
以下は講演の要旨です。
【PART1】ご講演
感謝と称賛から始める組織のインクルージョン〜遠心力と求心力の調和〜
東京女子大学 現代教養学部・心理学科 准教授 正木 郁太郎 氏
ダイバーシティ&インクルージョンと「感謝と称賛」のつながり
今回の講演タイトルをご覧になって、「ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)のような社会課題を扱っていた研究者が、なぜいきなり『感謝と称賛』などと言い出したのか」と不思議に思われた方もいらっしゃるかもしれません。
今から10年ほど前のことですが、ある会社でダイバーシティ推進の意識調査を実施し、成果報告会を行う中で、「調査の結果、推進の意義と組織の課題は理解できました。明日から早速何かしてみたいのですが、何がいいでしょうか?」というコメントをいただきました。当時の私は、それに対する明確な答えを持っていなかったのです。例えば、組織風土改革や、今で言うアンコンシャスバイアスのような個人の意識に関することは当然あるのですが、実行には時間がかかったり、主導できる人が限られています。明日からすぐに、いろいろな立場の全員が取り組めることは何かないかと研究していたところ、たまたま社会心理学との組み合わせで「感謝と称賛」のコミュニケーションに行き着きました。
いろいろな人が集まる組織では、ダイバーシティによって共感や一体感が発揮しにくくなる「遠心力」が生じてしまう面があります。一方で、ビジネスにおいては、組織が一つの目的を実現する「求心力」が必要です。「遠心力」と「求心力」が調和し両立することが重要であり、そのための舞台づくりやコミュニケーション促進において「感謝と称賛」を手がかりにできるのではないかと考え、研究を進めています。
ダイバーシティ&インクルージョンに関する学術研究
D&Iについては、社会心理学・組織行動論などで学術研究が進んでいます。
ダイバーシティとは、学術的には「ある集団にどれくらい特徴が違う人がいるか」を指します。そのいろいろな人が喧嘩しているとかうまく調和しているというようなことに関係なく、いろいろな人が共存していれば、ひとまずダイバーシティは高いとされます。ただ、それだけだと抽象的になってしまうので、議論の際には、どんな規模感で何に関するダイバーシティを論点としているのかを明確にすることがポイントです。
一方、インクルージョンは「多様な人が属性に関わらず、組織に包摂されている状態」を指します。「包摂」や「インクルードされている」という表現は曖昧にとられがちですが、研究において代表的な定義として、「所属感(belongingness:メンバーとして受容され、意思決定に関与できること)」と「自分らしさ・個性(uniqueness:自分らしさを発揮し、抑圧されないこと)」の2つを満たしていることとされ、どちらかが欠けてもリスクが大きくなってしまいます。
では、ダイバーシティが高まると、集団や組織に何が起きるでしょうか?
互いに価値観や背景が異なる多様な人が混ざると、コミュニケーションの難易度は上がり、すれ違いや分断、一体感の低下につながります。例えば、「男性&総合職」「女性&一般職」や「テレワークの本社」「テレワークができない工場」のような対立に陥ってしまうことがあります。しかし、ダイバーシティにはそうした面ばかりではなく、属性や価値観が異なる視点が混ざることによってイノベーションや創造性、新しいビジネスにつながるというプラスの側面もあります。また、働き手を確保し、労働人口を維持するという側面もあります。これらを踏まえると、ダイバーシティは現実的には諸刃の剣だと言うことができます。属性が違うものどうし、分断と対立が生まれやすいというマイナスを打ち消すためには、分断を目立たせず、まとまりを強める工夫が必要です。一方、多様な情報が集まり集団のパフォーマンスを向上させるというプラスの側面に働きかけるなら、情報の豊富さや個性が活きやすくする工夫、例えば心理的安全性が重要となります。
職場における感謝と称賛の効果と特徴
ここで少し話題を変えて、職場における感謝と称賛の効果と特徴について触れたいと思います。
例えば「あの人のためにあんなに頑張ったのに、感謝の言葉もないなんて!」という不満や、「仕事はやって当たり前、できて当たり前だからわざわざ感謝はいらない!」というような考え方があります。一方で「自分はこまめに感謝を伝えるようにしている。そのほうがいざというときに、その人のことを頼りやすいかも?」という、多少の打算はあるものの積極的に感謝をしている方もいらっしゃいます。これらを踏まえて、「感謝」や「称賛」にはどんな効果があり、何に気をつけたらいいかをご紹介します。
スタート地点として、「感謝」と「称賛」の定義や共通点・違いを整理しておきます。感謝とは「ありがとうございます」、つまり恩や助け合いに対するコミュニケーションです。一方、称賛は「すごい!」などで、優れた行為に対するコミュニケーションです。どちらも、相手に目を向け、ポジティブな感情を込めたコミュニケーションであるという点で非常に似ています。一方で、両者の伝え方や言葉は異なりますし、感謝は恩返しに、称賛は自信につながりやすいというように、一部の心理的効果も異なっています。
感謝については心理学で豊富な研究があり、心身にプラスに働く作用があること、感謝されることが人と人をつなぎ、信頼を強めることなどから、様々な実験や調査が行われてきました。
感謝は「する側」「される側」の双方に、主に3つの効果があると言われています。1つ目は心身の健康やウェルビーイングを促す「意識」、2つ目は利他的な行動・モチベーションを促す「行動」、3つ目は他社との関係を改善、強固にする「関係性」です。他にも、相手の立場から物事を捉える姿勢や、自分に価値があるという認識=自己肯定感などにも作用します。こうしたことから、負担が少ない割にさまざまな効果につながる施策と言えます。上記の3つの効果は、職場においても当てはまり、「意識」は仕事のモチベーションやエンゲージメントの向上、「行動」は自発的な行動の増加やパフォーマンスの向上、「関係性」は信頼関係の構築や「良い評判」の流通につながります。
「感謝と称賛」とインクルージョンの関係
では、こうした様々な効果を持つ「感謝と称賛」と、D&Iの関係を考えてみます。
「遠心力」が働いてバラバラになってしまうのであれば、それをつなげるために「絆に働きかける」コミュニケーションが重要となります。「曖昧で当事者性を持ちにくい」のであれば、相手を個人として認め、仲間として受容するというわかりやすいコミュニケーションから入るのもよいのではないかと思います。
実際に「感謝と称賛」がインクルージョンにつながるのかについては、BIPROGY株式会社との共同研究を通じて分析を行っており、称賛活動を積極的に行う組織では「関係の質(インクルージョンスコア)が向上しやすくなる」「失敗を許容する文化が醸成されやすくなる」「パーパス浸透がしやすくなる」といったことが明らかになっています。また、上司が積極的に称賛を実践する組織ほど、翌年の「インクルージョン」のスコアが約25%改善しているというデータも得られました。また、ある企業の社内意識調査では、メンバーが多様な職場で特に感謝と称賛が効果を発揮しているという結果が表れています。
これまでお話ししてきたことをまとめると、「感謝と称賛」から始めるインクルーシブな風土づくりは3段階に整理できます。段階1は「ダイバーシティ&個人化」で、ダイバーシティが高まるだけで遠心力が働き、バラバラになっている状態です。何かでつながないとどんどん組織のまとまりを損なってパフォーマンスやエンゲージメントも低下し、離職も増えてしまいます。そこで段階2として「つなぐ」、つまり働く人どうしの絆を強める求心力が必要となります。さらに段階3として、組織ミッション・ビジョンを浸透させ「方向づける」ことが有効なのではないかと考えています。
「感謝と称賛」をインクルーシブな組織風土づくりに活かす会社は増えています。そのポイントは「取り組みの目的を明確に伝えること」「参加しやすさや従業員体験の重視」「取り組みやすくする手段の導入」の3点に整理できます。
D&Iは大切ですが、「インクルージョンを成し遂げよう」というお題目だけでは難しく、自分ごとにしにくいために取り組みが遅れがちになってしまいます。だからこそ、最初の一歩として様々な強みに目を向け、感謝と称賛によってつながりを強めることが必要ですし、そのための舞台づくりも有効なのではないかと考えます。
【PART2】 パネルディスカッション
感謝と称賛の組織をつくるには
[パネリスト]
東京女子大学 現代教養学部・心理学科 准教授 正木 郁太郎 氏
セプテーニグループ (株)人的資産研究所 代表取締役 進藤 竜也 氏
進藤氏
「私たちのグループで、外国籍の社員を採用を始めた際、安心感をつくるためにも横のつながりを増すべく、外国籍社員同士の交流機会を作っていたことがあります。すると、外国籍の社員どうしが仲良くはなったものの、そこでコミュニティができてしまい、変にまとまってしまったという反省がありました。新しい社員を迎え入れる際に、インクルードされている状態にうまく導くためにはどうしたらよいでしょうか。」
正木氏
「ダイバーシティ推進においては「従業員リソースグループ」という方法があります。組織の中で共通の属性を持った社員どうしでコミュニティを作ってお互いに励まし合うような方法で、これはこれで有効ではあります。しかし今お話しいただいたように、グループの中でアイデンティティが強まりすぎると「自分たちは他の人とは違う」という意識を生むことにもなります。ですから、グループの外の人ともコミュニケーションがとれる場をつくることが求められます。外国籍の人が教わる、日本人の既存の社員が教えるというだけだと上下関係ができてしまうので、たまにひっくり返すような機会をつくるのも有効です。例えば、母国のおいしいご飯を紹介してもらったり、習慣の違いを日本人社員に教えるなどです。年齢の違いであれば、若手社員が年長の社員にSNSの流行について教えるなども考えられます。」
進藤氏
「もう一つお伺いしたいのですが、研究結果のデータの中で、感謝をする組織、感謝をする上司のところではプラスの影響が出ていました。では、感謝ができない組織、できない上司を動かすためには、どういうことが必要になるでしょうか。」
正木氏
「「何のためにやらなければならないのか」という意見は必ず出てきますね。特に、組織のトップに近いような方に積極的に感謝の行動させる、させたくなるようにするというのは、大変苦労するところです。それに対しては、研究成果で明らかになった効果やデータをエビデンスとして示して納得感を高めたり、施策の目的を繰り返し発信して伝えたり、参加しやすい手段を導入することが有効です。また、もともと接触がないところで感謝はできないですから、その手前で相手に対して業務上の前向きなフィードバックを行う機会を設けたり、チームで助け合う環境を実現するのも重要です。相手に対していいところをきちんと伝える前向きな関わり方を促すことで、「自分のことをちゃんと見てくれている」という意識が生まれ、「ありがとう」を伝えやすくなる気がします。」
正木氏
「参加者からいただいている質問も含めてお伺いしたいのですが、実践に当たって様々な工夫や苦労があると思われますが、それらをどのように乗り越えればよいでしょうか。」
進藤氏
「組織にもともと感謝と称賛の土壌や文化があれば問題なく導入できるのですが、そういう土壌や環境がない組織ではやはり苦労があります。社内のイベントのような形で感謝を送り合うような機会を設け、「送られたら送り返さなきゃ」という返報性が機能するような仕掛けを設けるのもひとつです。月末や四半期などに実践すると、年賀状のように「定期的に送るものだ」と想起されるようにもなります。」
正木氏
「そうした仕掛けを導入しても、まったく参加しない社員というのは出てきそうですが、対応策はありますか?」
進藤氏
「最初は、誰かが頑張ることが必要かもしれません。新入社員が来たらコーポレートのスタッフや上司がとにかく送りまくる、新しい会社がグループにジョインしたらその方々に意識的に送るなど、新しい人をどんどん巻き込んでいく。そうすると「こんなにたくさんもらえるんだ」「もらって嫌なものではない」と驚きをもって感じてもらえて、次の機会には自分も送ろうという一歩が踏み出せるようになるのではないでしょうか。」
正木氏
「社会心理学でも、人間は周りの人の反応から正解を探しながら生きているということが言われています。その正解を運営側で与えれば、社内の浮動票的な社員を巻き込むことにつながります。」
進藤氏
「私の会社でも実際に感謝のメッセージを送り合う仕組みを導入し、自分でも発信してみてわかったことなのですが、「ありがとう」に添えてメッセージを打っていくと、本音が言いやすくなると感じます。部下に対して「ありがとう」を伝えるときに、「最近ちょっと最近元気がなさそうなのが気になっているけど大丈夫かな」と伝えられたりします。相互理解のためには本音で話せることは非常に重要なので、感謝を伝える機会はそのためにもよいものだと思っています。また、私たちの会社では部署や会社を超えて感謝と賞賛を送り合える仕組みにしているので、セクショナリズムが起きにくくなっているという実感があります。他部署の社員から感謝が届くと嬉しいですし、閉鎖的になることを防ぐ効果もあると感じます。加えて、感謝と称賛のボリュームの増減や送られ方をログとして確認することで組織や社員の変化を感じられるため、エンゲージメントサーベイなど以上に、人事データとして価値が高いと思いますし、つながりを可視化することにもつながっています。」
正木氏
「ネットワークやコミュニケーションを促進しながら、自分の会社でインクルージョンが必要な部分がどこなのかを可視化するという一石二鳥な施策になり得ますね。感謝と称賛の取り組みはすべてを解決するものではないですが、リスクなく取り組めますし、組織の足腰を強めるための最初の一歩として取り入れられるものになればと期待しています。」
◎フォーラムを終えて
-
参加者の意見・感想は・・・
具体的な取り組み事例や苦労した点など伺えて参考になりました。今後、社内のDEI推進の参考にさせていただきたいと思います。 インクルージョンの曖昧さ、非自分事化は弊社でも課題である中、一歩目として皆がわかりやすい行動が必要ということがよく理解できました。感謝と称賛はそういう意味でもとっつきやすくリスクが少ないこともわかりました。 これからダイバーシティを全社展開していくにあたり、特に現場に対してどう展開していくかを悩んでおりましたが、第一歩として、分かり易い「感謝」と「賞賛」をテーマにしていくことはとても有効だと感じました。データとしての価値も高いことはとても共感いたしました。 エビデンスや事例も交えていただきご説明が簡潔で大変わかりやすく、DE&Iを組織員一人ひとりが自分事としてとらえられる第一歩という点も納得感がありました。後半のパネルディスカッションでは更に具体的な取組事例や失敗したと感じられている点もご披露いただき大変参考になりました。 感謝と称賛を取り入れている企業は多いと思いますが、ダイバーシティのデメリットを補う効果というのは、新鮮な視点でした。また、人事データとして、エンゲージメントサーベイよりも有用との見解も参考になりました。 感謝と称賛の効果は理解できましたが、それを組織に浸透させること、継続、習慣化させることが一番難しい点かと思いました。 -
登壇者の感想は・・・
東京女子大学 現代教養学部・心理学科 准教授 正木 郁太郎 氏
「一見すると結びつきにくい「D&Iと感謝」「社員のつながり」についてご紹介しました。
D&Iを全員が自分事にするためにも、足腰の強い組織作りやインクルージョンの可視化のためにも、有効な打ち手の一つだと考えています。
「ぜひ何かやってみたい」「もう少し話をしてみたい」というようなことがありましたら、お気軽にお声がけください。
少しでもみなさまの刺激になるお話ができていたら幸いです。」セプテーニグループ (株)人的資産研究所 代表取締役 進藤 竜也 氏
「本日は参加者の皆様と共に、改めてD&Iの魅力や難しさを学ぶ機会となりました。
今後も正木先生と共に諸刃の剣を上手く使いこなせるノウハウやテクノロジーを探求して参ります。
私からの情報は口頭中心かつ定性的な部分もありましたので、不明点など追加で気になる部分がありましたら是非お気軽にお声がけ下さいませ。今後ともどうぞよろしくお願い致します。」