ホームセミナーセミナーレポート人事戦略フォーラム 2025年9月4日

セミナーレポート

人事戦略フォーラム

「働きがい」と「働きやすさ」
~ウエルビーイングで考える人と組織の在り方とは~

大阪大学 経済学研究科 准教授 松井 博史 氏
慶應義塾大学大学院 博士課程 松本 凱斗 氏

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「働きがい」のある仕事、そして「働きやすい」会社。
就職活動中の学生、現に働く私たち、誰もが望む理想の姿です。「ウエルビーイング(Well-being)」という視点では、個人の意識である「働きがい」と、組織の仕組みである「働きやすさ」の両立が重要な鍵となります。
そこで今回は、脳科学と行動経済学を背景に組織開発の実務に携わる松井博史氏(大阪大学准教授)が、人のライフキャリアや働きがいを高める実証的な手法を紹介。後半では、転機を科学する研究者・松本凱斗氏(慶應義塾大学大学院博士課程)が、組織が抱える課題の本質を読み解き、持続可能な変革の方向性を提示。外資系コンサルティング会社での実務経験を持つお二人が、『個』と『組織』両面からウエルビーイングの核心に迫りました。
以下は講演の要旨です。

【PART1】講演
「人」視点で考える、働きがいと働きやすさ

大阪大学 経済学研究科 准教授 松井 博史 氏

企業がウエルビーイングに取り組むには、まず、その意味と効果を理解することが重要です。
ウエルビーイングとは経済成長を超えた「よさ」の基準であり、「病気ではないことにとどまらず、身体的・精神的・社会的に良好な状態」と定義されます。これを高めることは、個人レベルではストレスの軽減や自己効力感向上、組織レベルではエンゲージメントや生産性の向上・離職率低減・イノベーション向上などの望ましい効果があるだけでなく、経営レベルでは健康コスト削減・人材定着などの効果が期待できることから、競争力の源泉ともなりえるものです。
個人でウエルビーイングを向上させる方法は複数あり、メタ分析によって、エンゲージメントの向上や離職率の低下、生産性アップなどの効果が認められています。すぐできる実践方法としては以下の3つ。
・感謝のワーク:具体的な誰か・なにかに感謝してネガティブバイアスを補正する。
・強みの発揮:欠点の克服だけでなく、長所を伸ばす・発揮する。
・目標を持つ:自己にとって意味のあるゴールを設定し明確化する。

組織でのウエルビーイング向上には、「強みの発揮」「感謝ワーク」など複数の介入を組み合わせ、オンラインなどで実施するのがトレンドです。典型的なプログラムとしては、6カ月間毎週15分、8週間30〜60分、半日研修などが挙げられます。私が実際に行ったワークショップでも、主に以下のような結果を得ました。

1.ウエルビーイングだけでなく仕事の生産性や向社会性・主体性、上司への信頼感などが向上。 2.主体性ややりがいは実施後しばらくしてから(3〜6カ月後)向上。 3.静かなる退職層など効果に乏しい層がいる→今後の課題。 ウエルビーイングはそれ自体が望ましいだけでなく、企業競争力の源泉になり得るものです。個人レベルでの向上方法はある程度確立しており、組織への実践例も多くのエビデンスがあります。生産性・エンゲージメント・人間関係や主体性の向上も確認されているので、競争力やイノベーション力向上のための投資として実施をご検討ください。

【PART2】講演
「組織」視点で考える、働きがいと働きやすさ

慶應義塾大学大学院 博士課程 松本 凱斗 氏

■なぜウエルビーイング経営が浸透しないのか?

近年、様々な研究において従業員のウエルビーイングと売上・収益性・企業価値などの経営指標との相関が示されており、ウエルビーイングへの社会的ニーズが高まっています。けれど、依然として日本の労働者のエンゲージメントやウエルビーイングは世界最低水準で、仕事に熱意がある社員は6%、OECD諸国における労働生産性は最下層で従業員の幸福度も低い、という調査結果があります。とくに中小企業において人手不足が深刻化するなか、人材の活性化や採用強化は喫緊の課題といえるでしょう。本来なら「ウエルビーイング経営を導入・推進し、労働生産性を高めよう」となるはずで、実際、人事担当者の8割は取り組みの重要性を認識しています。にもかかわらず、自身の所属組織において十分に実行に移すことができていないのが実態で、「よく実行できている」との回答は8.3%に留まります。
その理由として「何をすればいいのかわからない」「経営陣の理解がない」の2つを挙げる方が多いようですが、これは本当でしょうか?
例えば「何をすればいいのかわからない」という問いに対しては、他社の取り組み事例や内容を参考にすることができるはずです。「ハーズバーグの二要因理論」を用いて考えてみましょう。「働きやすさ≒衛生要因」と「働きがい≒動機付け要因」は別モノだと考える理論で、これに基づいて既存のウエルビーイング施策を分類していくと、既存の施策は「働きやすさ」に偏った傾向が見られることがわかります。
「経営陣の理解がない」という点について注目すべきは、経営陣と従業員の間でウエルビーイング向上を求める優先順位にギャップがあることです。「今後1〜3年の間に業務変革の取り組みを通じて達成したい最も重要な成果は何ですか?」という問いに対して「従業員のウエルビーイング向上」を挙げたのは、従業員では3番目であるのに対して、経営層では8番目。
つまりウエルビーイング経営が浸透しない本質的な理由は、取り組もうとしても「働きやすさ」に偏る施策が多くなり、「働きがい」向上の具体策が持てないため、生産性や収益性への効果が不透明で、経営上の優先順位が上がらないことだと考えます。

■ウエルビーイング経営の実戦に向けた課題とチェンジ・マネジメント

ウエルビーイング・アワードを受賞した企業の実例を見てみましょう。2025年に受賞したCUCグループさんは「医療従事者のウエルビーイング推進」を掲げ、キャリア・ウエルビーイング(働く健康、やりがい、自己成長)、ソーシャル・ウエルビーイング(仲間とのつながりや貢献感)、フィジカル・ウエルビーイング(身体の健康)という3つのビジョンを持ち、現場目線での働き方支援策が上から下まで一貫したアプローチで行われている企業です。2023年に受賞した株式会社丸井さんは、社員が自ら手を挙げて取り組む「全社横断ウエルビーイング推進プロジェクト」で有名です。いずれもの企業も、福利厚生などの表面的な対策ではなく、ミッション・ビジョン・バリュー、業務内容など深いところまで、企業体質ごとウエルビーイング経営にシフトしていることがポイントです。
ウエルビーイング経営への体質改善に向けて、コッターの「8つのアクセラレータ」モデルを使って分析してみましょう。

1.危機感を生みだす→2.変革主導チームを築く→3.戦略ビジョンと変革施策を策定する→4.ボランティアの数を増やす→5.障害を取り除き行動を可能にする→6.短期的な成功を生みだす→7.加速を維持する→8.変化を組織内に定着化させる
この中で2、4,6は比較的やりやすいと思うので、主要な課題となる1、3,5,7について検討してみましょう。

1.危機感を生みだす
働きがい、働きやすさが経営指標に反映されるには2〜3年かかりますが、2〜3年先を見据えて危機感を醸成していくことは難しいといえます。これをうまく乗り越えたのがサイボウズです。2005年に離職率28%という危機的状況でしたが、働き方を根本的に見直し、100人100通りのマッチングを行う体制づくりを行うことで成功しました。

3.戦略ビジョンと変革施策を策定する
日本の主要企業150社の中で、経営理念にウエルビーイングを明記しているのは7%。主要課題にウエルビーイング向上を明記している企業を入れても14%で、47%の企業は統合報告書にウエルビーイングの記載がありません。ウエルビーイングの間接的な効果をビジョンに落とし込むことが難しいと想定される中、丸井グループは自社の捉えた社会問題や「好きを応援するビジネス」という在り方を踏まえ、社内外のウエルビーイング実現へのロジックモデルを「Impact Book」で丁寧に記述しています。

5.障害を取り除き行動を可能にする
ウエルビーイング経営への変化を阻害する要因の一つが、変化に対する心理的な摩擦=変化抑制意識です。これは年齢と関係があり、男女ともに40-50代では変化抑制意識が高く、意思決定プロセスや顧客ニーズに対する考え方・信念など深層の部分におけるアンラーニングが最も難しいといわれています。変化抑制意識を抑えるには、メンバー間の目標公開・共有、キャリアの目標設定、再挑戦の歓迎、業務外活動の推奨などが有効です。ただし、これらは上司が部下の面倒を見る役割に回されやすい領域で、上司自身のメンタルが変化を受け入れる余裕を持てないと「現状維持で良い」となってしまいます。柔軟な組織を作るには、上司にも自由が必要なのです。
ダイバーシティ推進においてはメリットと困難さがあります。多様性の高い組織からイノベーションが生まれる一方で、経済的価値の平均が低下し、一時的な生産性・一体感の低下が懸念されるので、成功までの粘り強さが必要です。

7.加速を維持する
ウエルビーイングへの取り組みが一時的・局所的なもので終わらないようにするためには、認知や理解、ニーズの違いなど、立場による様々なギャップを埋め、解消していくことが大切です。たとえば、ウエルビーイング経営の施策に関するアンケートを実施したところ、約40%の社員が「認知されている」と答えた一方で、約30%の社員は「認知されていない」と回答。希望する働き方も、経営陣と従業員では大きなギャップがあります。ギャップの外側にいるひとを置いていくのではなく、1つ乗り越えたら反対側の施策を検討するなど、ギャップを埋めるためのアプローチが必要ではないでしょうか。
「働きがい」と「働きやすさ」は別ものです。働きがいにつながるのは「社員の士気」「20代の成長環境」「有給休暇消化率」など。働きやすさにつながるのは「法令順守意識」「平均残業時間」「有給休暇消化率」など。ウエルビーイング経営への変革のモメンタムを維持する上では、働きがい・働きやすさを社内外の指標を用いてモニタリングし、両利きの打ち手を回していくべきだと考えられます。

【PART3】 パネルディスカッション
「ウエルビーイング」で考える、働きがいと働きやすさ

[パネリスト]
大阪大学 経済学研究科 准教授 松井 博史 氏
慶應義塾大学大学院 博士課程 松本 凱斗 氏

松井氏
「日本では従業員満足度とウエルビーイングを同一に捉える傾向がありますが、悪い部分を消すことがウエルビーイング経営だと考えるのは問題だと思います。それだと金太郎飴のようにみんな同じ組織、同じ働き方になってしまうので、競争力につながりません。ウエルビーイングとは、それぞれが自分の生き方を定義し、追求してゆくことです。ゼロをプラスにすることを考え、企業も変わっていくことが必要なのです。
その際、ウエルビーイングの上昇は個人レベルでも6ヶ月程度の持続的な上昇があることが示されており、そこから組織レベルでの変革につながるには、もっと時間がかかるということも理解しておく必要があるでしょう。」

松本氏
「健康経営、ホワイト企業、働き方改革など、マイナスをゼロにすることを重視してきた歴史がありますからね。ウエルビーイングを「あったらいいよね」くらいの気持ちで考えてしまうとなかなか進まないので、いかに必要なのかを考えることが重要だと思います。」

松井氏
「日本企業の場合トップダウンでの変革よりもボトムアップでの変革が現実的だと思われますが、それがうまくいっている企業は少ないと思います。
日本ペイント株式会社さんの事例をご紹介しましょう。社内の自主的な取り組みからはじまり、最終的にCEOが認めるプロジェクトに拡大しました。まさにボトムアップの成功例といえます。成功のポイントは3つ。まず、内-外-内でアプローチする「制度的企業化」。人事などの正規組織ではなく、ボランティア的な「非正規組織」による変革。そして「承認と見える化」。この3つです。」

松本氏
「越境学習、園芸農法、アカデミア連携など様々な取り組みがありますね。「こうしなさい」ではなく、従業員1人ひとりが求めていた「やってみたい」という気持ちと緩やかな承認があったことが伺えます。全体としてOKだけど中身はお任せする、というバランス感覚でうまくいった成功例ですね。「組織では“危機感の醸成”が難しい」という話しをしましたが、個人レベルでは働き方に関する違和感・危機感などを持っている人は少なくありません。それを組織変革の原動力に変えられるか、この組織にいても仕方ないと辞めてしまうのか。そこが大きな分かれ目です。1人からはじめて周りを巻き込んでいく。緩い承認で、自由だけどきちんとカタチにできることで、個人レベルの危機感がボトムアップで上まで伝わってゆくのだと思います。」

松井氏
「「弊社でもウエルビーイングをやらなくちゃいけないんですよ」と相談に来られる方は、皆さん、眉間にシワが寄っているんですよ。それを見ると「これはちょっと難しいかも」と思ってしまいます。まず必要なのは、本人が人生をどう生きたいか、ハッピーになりたいか、です。」

松本氏
「本当ですね。「やらなきゃいけない」というやらされ感の時点で、前提が破綻しています。」

松井氏
「私自身、会社員時代は改革しようとする動きを「口だけでカッコいいことを言っている」と、冷めた目で見ていました。けれど、「こうありたい」というwillを持たなければ会社を変えることはできません。自分がハッピーになりたい、という感覚を持つことから始めましょう。」

◎フォーラムを終えて

  • 参加者の意見・感想は・・・

    Well-beingの本質とは何かが聞けたように感じました。ありがとうございました。 ウエルビーイング経営への変化の阻害要因について、「4,50代の意思決定プロセスや顧客の捉え方が、最もアンラーニングしづらい」というのは、自分の肌感覚・経験とも一致しており納得感が高かったです。 実施にはビジョンと覚悟がいること、また時間がかかること、改めて認識しました。 なぜ当社はウエルビーイング経営ができていると胸を張って言えないのかがクリアになりました。働きがいに繋がる施策を、経営層を巻き込んで企画してまいります。 ウエルビーイングを推進することで、企業業績に寄与することを経営陣に理解いただくことまでは進められても、やはり優先順位を上げる、促進のための予算を付けるという点に課題を感じております。 ウエルビーイングは向上出来るということは実証されてきており、特に「働きがい」との相関性については関心を高く持ちました。人事部門として、「働きがい」を高めることが使命ではありますが、実施する施策とサーベイによるエンゲージメントの結果にはタイムラグがあることも、理解して進めていきたいと思います。 学問的なことに留まらず、コンサルタント経験をお持ちのお二人から、企業人事の立場の方々にとっても参考になる内容だったと思います。実際的な課題・解決法などのヒントがたくさん頂けたと思います。最高のセッションでした。
  • 登壇者の感想は・・・

    大阪大学 経済学研究科 准教授 松井 博史 氏

    大阪大学 経済学研究科 准教授 松井 博史 氏

    「セミナーにご参加いただきありがとうございました。私のパートではウエルビーイング指標の向上のための介入法についてご紹介させていただきました。実際には組織個別の目指すところと課題が異なるとは思いますが、ポジティブなエビデンスがあることを取り組みの参考にしてくださいましたら幸いです。」
    慶應義塾大学大学院 博士課程 松本 凱斗 氏

    慶應義塾大学大学院 博士課程 松本 凱斗 氏

    「皆様の、従業員の働きがいを高めたい・経営陣の理解を得たいという真摯な思いが伝わってきました。私は、働きがいと成果を生む一つの方法は「変化を楽しむ力」を授けることだと考えています。こうした企業の“転機”のお手伝いが出来ればと考えておりますので、少しでも興味を持たれたらお気軽にお声掛けいただければ幸いです。皆様の、働きがいと働きやすさが両立する職場づくりの成功を願っております。」